中国近代の文学革命の代表作、魯迅の『狂人日記』から読みとく白話化の課題とは?

今回の記事では中国で近代化の一環として巻き起こったムーブメント「文学革命」の中でももっとも重要な「白話化」について、具体的にどのように行われたのかを『狂人日記』を取り上げながら解説します。
まだお読みで無い方は、先にこちらの記事をお読みいただくとより理解が深まります。

中国における新文化運動と白話化の課題について。中国の近代史における胡適、魯迅らの口語化議論を整理する。

では以下白話化の課題が現れた文学の一例として狂人日記を読んでいきます。

なぜ『狂人日記』を読むべきなのか?

前記事でも述べたように、文学革命の基本は①白話化による表現追求と、②古来の儒教道徳への批判およびそれからの脱却が運動の中心でした。
そのような作品の中でも特に後世に引き継がれたものである陳独秀の『新青年』に掲載された魯迅の『狂人日記』はこのどちらのテーマに対してもセンセーショナルに問題提起がされており、当時非常に話題になったようです。
また日本語訳が出版されていること、魯迅の思想に関する文献が比較的多いことなどからも、『狂人日記』は白話化の研究においてはまず最初に着手すべき文献であると言えます。

魯迅の生い立ち

そして『狂人日記』の作者が魯迅(Lǔ Xùn)(1881-1936)です。彼の本名は周樹人( Zhōu Shùrén)、字は豫才です。
浙江省の士大夫の家系出身で、もとは理系であり、10代のころには進化論をはじめ西洋の科学についての知見も得ています。1902年、国費留学生として日本に留学し、医学を専攻した一方で、西洋文学(特にロシア文学)にも興味を示し、ニーチェ、チェーホフ、アンドロノフの小説を多読しました。
その当時仙台で出会ったのが解剖学の藤野厳九郎教授であり、後に『藤野先生』という作品を発表するほどに、生涯にわたり敬愛した日本人として知られています。
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日本を離れ、中国帰国後に始まった文学革命に彼も傾倒していき、徐々に「文学によって中国を救うべきである」との考えを抱くようになりました。
そして日本留学時代の友人であった銭玄同から要望され、雑誌『新青年』の1918年5月号で発表したのが小説『狂人日記』です。
このような経歴からもわかるように、魯迅は中国の伝統的な家族観や儒教道徳という従来の社会的固定概念に疑問を持ち、これとは相反する当時としては非常に開放的・先進的な考えを持っていましたし、実際に各作品にはその思想が如実に反映されています。
彼の著作には『狂人日記』のほかにも『阿Q正伝』『故郷』『孔乙己』などが知られています。

『狂人日記』と『新青年』

さてこの『狂人日記』が発表されたのは1915年に陳独秀により創刊された啓蒙雑誌『新青年』の第4巻第5号です。
『新青年』は当初は『青年雑誌』という題だったのですが、第2巻から『新青年』に改題されました。第2巻第5号で文学改良芻議(すうぎ)が胡適と陳独秀によって行われたことから、この雑誌が文学革命の口火を切った、としばしば呼ばれる、文学革命上重要な意義を持つ雑誌です。
陳独秀が第1巻で述べた創刊のことばである『敬告青年』の中には、「人々が自主的・進歩的・進取的・世界的・実利的・科学的であることを期待し青年の奮起を促した」とあります。ここから分かる通り、この雑誌はただの文学雑誌ではなく当時の政治に対する主張・表現の発露の役割も担っていました。そしてのちにはマルクス主義研究特集号(1919年、第6巻第5号)と称した号が発刊されるなど、徐々に中国共産党の機関紙的存在となっていきます。

狂人日記のあらすじ

さて『狂人日記』はこの『新青年』第4巻第5号に掲載されたものです。魯迅の処女作であり、白話化という文体上の試行錯誤はもちろん、内容上もストーリーやぶ小説執筆そのものへの試行錯誤や苦労も垣間見えます。
物語の大筋としては、まずある人が「狂人日記」を手に入れることになったまでの話が書かれ、「狂人日記」の筆者が被害妄想過多であることが描かれます。この筆者は周りの人々が人を食していて次は自分を食べようとしているという妄想に取り憑かれ、最終的に自分や自分の家族をも疑いだしていく、というものです。
日本語訳が多く出版されていますが、特に魯迅研究の第一人者・竹内好先生の訳が簡潔明瞭で読みやすいです。
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狂人日記の文体表現に見る白話化の問題例

では以下本題である、『狂人日記』内で、特に文体に関して標準語たりきれていない=白話化しきれていない点を具体的に見ていきます。
細かく色々リストアップしていますが、大きくは①魯迅のルーツとしての「呉方言(紹興方言)」と標準語が入り混じった文章になっている、②文語体と口語体の混同が見られる、と考えるとわかりやすいです。

方言

(呉方言・標準語)の順に方言をリストアップしています。

単語として、魯迅が使用したのは

  •  晓得/知道(知っている)
  •  停/过(まもなく)
  •  不住/不停(しきりに)
  •  起头/开始(~から)
  •  没有/不(~だっただろうか)
  •  想/想必(たぶん)
  •  死也不肯/坚决不肯(死んでも~(しない))

など、いずれも本来後者の標準語で書くべきところを魯迅が意図的に前者の呉方言で書いています。

また名詞の後ろに「子」がつくのも呉方言の特徴です。例えば
  •  檬子/朦条(垂木)
  •  妹子/妹妹(妹)

といったように、標準語では無い表記がされている点につき、読者は一読して魯迅のルーツが呉方言にあることに気づくのです。

形容詞の畳詞が多いのも呉方言の特徴であり、標準語にはこのような用法がありません。
  • 白历历(白くてぴかぴか)
  • 黑漆漆(真っ暗)
  • 气愤愤(ぷりぷりする)
といった『狂人日記』内の表現はいずれも方言です。
助詞「着」「了」の使い方も微妙に呉方言と標準語では異なっています。例えば、
果然我大哥引了一个老头子慢慢走来(兄は一人の老人を案内して、のろのろ入ってきた)
という一文ですが、現代中国語では多くの場合、着が現在進行形であり、了は完了形に用いるので、標準語であれば本来「果然我大哥引着一个老头子慢慢走来」のはずのところを、この文では「果然我大哥引了一个老头子慢慢走来」と表記しているのです。
方言の文型にも違いが見られます。
例えば比較文については、
標準語では「名詞A+比+名詞B+形容詞」ですが、呉方言はこれに加えて、例えば
 怕比虫子渐愧猴子,还差得狠(hen3)远狠远
(虫がサルに比べて恥ずかしいより、もっともっと恥ずかしいでしょうね)
といったような「比+名詞A+形容詞+名詞B」という文法があります。
これら呉方言へのこだわり以外にも、魯迅は他にも文語を使用しています。
例えば
  • 五四運動以前に人称代名詞は性別の区別がなかったのですが、五四運動後に性別が区別されるようになり、現代中国語においては、「他」は男性にのみ用い、女性には「她」を用いることになっています。それにもかかわらず五四運動のように女性を指す人称として「他」を用いています。
  • すなわち、狂人日記中の人称代名詞は文語の形式を踏襲しているのです。
  • 細かな文語と現代中国語の表現の相違が見られます。
    • 文語「何以」で現代語の「为什么」にあたる
    • 疑問詞としての文語の「那」で現代語は「哪」に当たる
    • 現代語の「地」の代わりに文語では「動詞+的+補語」を用いる
    • 疑問文の語尾が、現代語は「 吗」なのに対して文語では「么」を使用する
などの特徴があります。
まとめると近代中国の一連の文学革命において、白話化とは近代化思想を文体に反映させるという意味で、文学革命の中核をなす現象・行為でした。しかしそのような文学革命の本質ともいえる白話化は、広大・多民族国家である中国においては均一に進行したものではないですし、特に魯迅の『狂人日記』において各作家の出身地の方言や出生背景に基づく文語表現が使用されていることは、これを端的に示しているといえるでしょう
魯迅については竹内好先生の翻訳の『狂人日記』がもっともメジャーです。
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また魯迅と彼を取り巻く近代中国文学史については、藤井省三先生が著名な研究者として知られており、この本は夏目漱石や森鴎外など日本の文豪にもふれながら広く魯迅と日本の関係について書かれており、非常に面白いです。
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