「好きなことは趣味でやれ」に従った自分の後悔

今週のお題「好きな街」

「趣味で好きなことをやればいい」は本当か

過去にも「好きなことを仕事にする」ことについては記事を書きました。その中で好きなことを仕事にすることができる時代であることをその理由として上げましたが、今回は逆にもし好きなことをできないままの人生だと多分その後悔はずっとついて回るんじゃないかって話を個人的な経験を踏まえて書きたいと思います。

関連する過去記事はこちらです。

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小さい頃から古典を勉強したかった自身の経験

さて、現在こそ仮想通貨・ブロックチェーンという最先端のIT技術に没頭している私ですが、小中高と一貫して実は超古典オタクでした。

古典と言うのは文字通り東西の古典のことで、本当に色々読みました。小学校では『古事記』を読んでつまらなそうな親に頼んで埼玉古墳群に二回も行きました。中学校3年間では『源氏物語』の原文を3回通読したり『三国志演義』『史記』に熱中してました。高校入学後は『十八史略』『論語』と言った中国の古典やギリシャ・アテネの神話についての解説書を読みふけっていました。実は大学に入ってからも古典自体は結構読んでいて、大学受験時に気になってメモしていた鎌倉・室町の擬古物語や『クルアーン』を読んでました。

高校生の時にある女の子に「口をひらけば古典の話しかしないんだね」って言われたの今でも覚えてます。確かにあの時は口をひらけば読んだ古典の話しかしなかったですね、いやほんとごめんなさい。(笑)

今のブロックチェーンに没頭している自分からすると考えられないくらい真逆すぎて自分でもびっくりしてしまいますが、当時は本当に古典が大好きで、お小遣いの全てを使って「講談社学術文庫」「岩波文庫」「新編日本古典文学全集」「中世王朝物語全集」なんかを買い込んで一人で部屋で毎日読んでいました。でもそれくらい古典が好きで、多分昔の人たちが考えていたことに対する共感や先人の残した世界観やロマンみたいなものに本当に当時心酔していたんだと思います。

そんな古典オタクの私は当然文学部に行きたいと思っていました。数ある文学部の中でも藤原定家研究の第一人者久保田淳先生はじめ名教授が揃う東京大学の文学部か、京都大学・立命館大学・同志社大学と言った京都の大学に進学して、毎日文化遺産を眺めて過ごしたいと真剣に思っていたのでした。

でも私は結果として文学部に行かなかった。そして「就職できる学部」である法学部を選び入学しました。

幸せになれなかった自分

私が文学部に行かなかった理由はある時大人に言われた「文学部だと就職できないから、就職できる学部に行きなさい」「研究者になったって食べていけないから、ワークライフバランスの取れた公務員になって趣味で古典を読めばいい」という言葉に影響されたためです。中学生・高校生の当時には周りの大人の意見というのはどうしても絶対的に正しいものに見えてしまいますし、私も「そういうものなんだな」と思って当然として受け入れ、結果として文学部は一切受験することなく私は法学部に行きました。

この意見は確かに一つの価値観としては正しいと思いますし、今でもこのようなことを言った当時の大人たちを責めているつもりでは全くありません。文学部が就職できないかはさておき所謂難関校と呼ばれる大学の法学部や理系の就職率はデータとして見ればかなり高いですし、(あくまでも一般論として)現在の日本の大学における研究者の待遇の悪さは問題になっています。

ただその結果として法学部に行った自分が法律を好き好んで勉強したわけではありません。法律を楽しんで勉強できる人間もいるとは思うのですが、私はあまりそうは思えなくて、結局一般教養科目で文学部の古典や仏教に関する科目ばかりとっていました。そして大学3年以降はずっとブロックチェーンに没頭しています。 つまりブロックチェーンという新たに好きなものを見つける前の勉強自体は味気なくしんどいもので、まあ要するに全然楽しくないし幸せじゃなかった。そして結局その味気なさが嫌なのとブロックチェーンの潜在的な可能性に魅了されてブロックチェーンという新たに見つけた好きなものに没頭する人生を送ることを決めてしまった。

私のように自分の興味のあるものだったり、「これが好き!」と断言できるものがある人にとっては、ワークライフバランスの取れた生活ができるかどうかという問題よりも好きなことを生かして生活していけない方が辛いのです。

つまり古典に熱狂しすぎた人なら薄給で研究者をしている方が公務員になって趣味で古典購読をするよりも生きる意味を見出せたかもしれないし、ゲーム好きな人ならゲーム実況者やゲームプロデューサーとして生きる方がゲームと無関係な大企業で9時5時の生活をするよりも幸せな人生かもしれないと思うのです。

選択肢の一つとしての「ワークイズライフ」

ワークライフバランスという言葉には「ワーク」と「ライフ」を別物として捉えるような意味合いが含まれていると思います。でもこのブログで何度も書いているけれど好きなことをして生活できるような時代はもう来ているわけだし、選択肢の一つとして「ワークイズライフ」があってもいいんじゃないかなと思っています。
落合陽一氏は『日本再興戦略』の中で「ワーク・アズ・ライフ」という言葉を使用していますね。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

もちろんワークライフバランスの言葉自体も重要だしDJ社長が言ってるように国民全員がYoutuberになったら2秒で国なんて崩壊すると思うけど、選択肢のある人間にとってはワークイズライフ(ワーク・アズ・ライフ)も大いにありなんじゃないかなと思っていますという話でした。

追記

今でも古典自体は好きで、大学に入ってからは毎年一人で京都巡りをしています。でも行って冷泉家(藤原定家の子孫の家)公開でボランティアをする学生をみては京都で大学生活を送れることに毎年すごく羨ましさを感じてしまいますし、東大の文学部や京大出身の人を見るとたまに思うのです、(大学受験に受かるかはさておいて)あれが私のあり得た未来だったかもしれないと。

追記2

高校生の時愛してやまなかった日本の古典について書きました。教科書には載らない古典の奥深さと面白さを知ってもらえたら嬉しいです。かなり長文ですがよければぜひ。

https://www.yamato0506.info/entry/2018/08/22/私が好きな教科書には載らない古典ベスト4www.yamato0506.info

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